アマビエ週間

 

 

 第4部隊があと15分で返ってくる。そんなタイミングで玄関が騒がしい。これはもしかして、と審神者はそっと鳩を準備した。廊下を歩く音が近づいてくる。足音は部屋の前でぴったりとまった。いつもより大きめのノックが3回聞こえた。

「どうぞ」

「主、アマビエ様が」

 ほらやっぱり、と審神者は鳩を放った。蜻蛉切の後ろからひょっこり覗いたのは虹色の鱗とつぶらな瞳。そして河童のような黄色いくちばし。そして足元には黒い毛玉が一匹。

「今日からですよ」

 くろのすけはにっこり微笑んだ。が、目は笑っていない。

「今、全員揃いますので」

 審神者がどうにか笑った瞬間、ただいまーと声が聞こえた。アマビエは玄関のほうを向き、

「優」

と目を細めた。

 政府所属のアマビエが毎年一週間本丸に滞在するのは本丸の健康診断のような行事だった。その間は出陣も遠征も禁止。本丸内の活動だけが許されている。担当する時間軸になにかあったら政府が対応するというサポート付き。畑仕事に専念するもよし、手合わせに精を出すもよし。昼から風呂に入っても、酒盛りを始めるもよし。仲間と共に本丸で穏やかな日々を過ごせ、という「任務」だ。十分な休養と自分に向き合う時間の設定だとか、本丸運営の見直しを行う時間の確保だとか色々な理由を連ねたお知らせをもらうものの、結局は長期の本丸視察である。変なことするなよ、と釘をさすのを忘れるわけにはいかない。

「というわけで、こちらがお世話になるアマビエさんとくろのすけです。今年もよろしくお願いします」

 大広間に集まった刀剣男士を前にふたりを紹介する。ああ今年もか、という顔をしたひともいれば、なんだあいつはと怪訝な顔をするひともいる。今年は目をらんらんと輝かせている刀が一振りいるから本当に気を付けないとな、と審神者は心の中で五寸釘を握りしめた。

「アマビエです。一週間お世話になります」

「くろのすけと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 ちょこんと頭を下げて例年通りの挨拶をする。ふたりともそのサイズ感とは裏腹にかなりしっかりした視察をする凄腕だ。

「ということで」

 視察と言えど休暇は休暇だ。そして審神者にとっても年に一度の長期休暇であることに変わりはない。

「私も部屋に戻ります。なにかあったら直接部屋に来てください」

「はーい」

 元気な返事が広間から溢れ、審神者が部屋を出る頃にはわいわいと賑やかな話し声で本丸が満ちるようであった。

 アマビエとくろのすけは本当に好き勝手に視察をしていくのだ。畑や山へも出ていくし、食事は一緒に同じものをとる。寝るところも今日は粟田口、明日は左文字と部屋を点々としながら一日中男士たちのそばにいる。そうして彼らの日常を一番近くで見ていくのであった。去年は最終日に酒盛りをしたら審神者だけ見送りに間に合わなかった。一昨年は本丸ができたてだったから皆でおもてなしを頑張った。結構思い出深い一週間なのである。今年はどんな時間になるのやら、と思いながら審神者は自室に戻った。

 目が覚めた時、襖の隙間からはオレンジの光が差し込んでいた。どうやら寝落ちたらしい。そう気づくのに時間はいらなかった。惰眠をむさぼるという第一欲求を満たした体は暇を訴える。そうはいっても特にしたいことも浮かばない。みんなの部屋を訪ねてもいいけれどせっかくの休みなのだから主人を気にせず楽しんでもらったほうがいい。多分夕飯は豪勢になるだろうからそれを楽しみに待つか……待つだけならもう一回布団に転がろうか。そんなことを考えながら体温が移った毛布を抱きしめて天井をぼんやりと眺める。時計は3時半過ぎを指していた。

「失礼します」

 いきなりの声に飛び起きる。手櫛で髪を整え平然を装いながら布団を出て声の主を待つ。はい、と返事をすれば敷居が滑って開いた空間に蜻蛉切が姿を現した。

「主、大福はいかがですか」

 なぜ軽装で、と思ったが自分が本丸にいるときはなるたけ軽装を着ろと言ったことを思い出しはっとする。その言葉に手元を見れば大きな豆大福が4つ皿にのっていた。今日は小豆殿が自信作だと言っておりました、と蜻蛉切は笑った。なんていい夢だと呆けていると蜻蛉切の背中からふたつの頭がこちらを覗きこんでいる。

「ご一緒しても?」

「ええ」

 うん、間違いなく現実だ。人間と槍と妖怪と管狐。本丸でしか起こりえない茶会が始まった。

「視察はいかがですか」

 茶葉を匙ですくいながらアマビエに尋ねる。

「一通り見てきましたが皆さんいいですね。休み方が板についてきました。それにここは全員がこの1週間の意味を理解しているようで」

「それはそれは」

 皮肉なのか褒めているのかわからない返答に審神者は曖昧な相槌を打った。以前少しぬるめがいいと言われたことを思い出し、いつもより少し長めに湯を冷ます。茶は60度くらいがいいと言うしそんなものかな、と思いながら大福の隣に茶を添えた。

「いただきます」

 4人で手を合わせ、あたたかで甘い時間を楽しむ。もちろん食べる前の手洗いは欠かさない。

「さきほど1週間の意味を理解している、とおっしゃいましたがそれはどのような意味なのでしょう」

 大福を一口味わったあたりで蜻蛉切が言った。え、と審神者は固まってくろのすけのほうに視線を送る。くろのすけはそのままアマビエへ視線を送り、アマビエはゆっくりと茶をすすってから口を開いた。

「私たちが派遣されている理由は本丸運営を監視するためではない、ということです」

 答えになっているようでなっていない返答だ。蜻蛉切は首をかしげないまでもどういう意味か胸の内で考えているようであった。

「まさか審神者のあなたまでこの派遣が視察だと思っていたの?」

「ええ?ええ、まあ」

「アマビエ様、それはそうですよ。政府は本丸視察と通達しています」

 そうなの、とアマビエは納得した様子で湯飲みを再び手に取った。

「本旨を理解していないのにこの本丸には祈りが溢れてるってことね」

「祈り?」

「この1週間は祈りをささげる時間なの」

 「祈り」なんて言ってもねえ。なんのことかさっぱりって人も刀も多いのよ。それに審神者やってれば分かると思うけど忙しすぎて無理でしょ。時間がないもの。だから政府は強制的に本丸を休ませて……って話ね。これは悪くないことだと思う。神が穏やかに過ごす時間こそ祈りなんだから。そして私が来たってことは疫病退散の祈りをささげることがこの本丸の役割ってことね。

「アマビエ様、しゃべりすぎですよ」

 そう言われてアマビエはちょこんと肩をすくめた。

「この本丸はとても穏やかでいいわ」

 その目は澄んだ水面のような色をしていた。

「ありがとうございます」

 審神者は頭を下げ、内心超が付くほど緊張して手が付けられなかった大福に手を伸ばした。

「きっと彼のおかげね」

 アマビエが目くばせしたのは蜻蛉切だった。

「ほら、アマビエ様!そういう野暮なことはやめましょう」

「どうして?いいじゃない」

 きゃあきゃあと楽しそうなアマビエをくろのすけがたしなめる。じゃれ合っているようにしか見えない光景に目を細めながら蜻蛉切のほうへ視線を向けた。そこには俯きながら頬を赤く染める蜻蛉切がいた。

「穏やかな本丸は穏やかな審神者から、でしょ?」

 あなた頼りにされてるのね、とアマビエはくろのすけの制止を振り切って蜻蛉切に言った。

「そうだと、いいのですが」

「そうでしょう?」

「……?あ、ええ!」

 蜻蛉切が頼りになることは間違いない。浮かんだはてなマークを脳内から消し去って審神者は元気に答えた。

 大福を食べ終わったところで視察団は審神者の部屋を後にした。残されたのは休日の審神者と休日なのに審神者の部屋へ大福を届けに来た槍である。

「ふたりが審神者の部屋に連れていけって言ったの?」

「……いえ」

「休みなんだから好きなことしなよ」

 私のことは大丈夫だから、と笑いながら言う。

「休みだから、好きなことをしたのです」

「ん?」

「休みの今日ならば、ふたりで茶が飲めるのでは、と思いまして」

 蜻蛉切はいつも誰かがそばにいる主を今日はひとりじめできるのではと思った、とまでは言えなかった。

「結局ふたりで、にはなりませんでしたが」

 実は少し悔しいなんて。これも到底言えそうになかった。

「じゃあ、来週は?」

「え?」

「来週のこの時間、またここにきて」

 とっておきの茶葉で待ってるから。審神者は蜻蛉切の目をまっすぐ見てそう言った。蜻蛉切は口を閉じるのも忘れてうなずいた。

「じゃあ約束ね」

 

 あ、ちょっとお手洗い行ってくる!と一方的に審神者は宣言して部屋を去った。蜻蛉切は審神者の気配が濃くある空間にひとり残され、そうっと部屋を見渡した。少し、期待してもいいだろうか。まだ名前のないあたたかい感情を包むように蜻蛉切はきゅっと手を握りしめた。

 

(了)