妖と刀と人

 

 

 時代の中で疫病が蔓延することはあり得た。いつの時代も変わらない。 

 近代の世界においても同じであり、人はそうしたものと戦っているわけだ。 

 その事実を考えながら、明石は目の前の出来事について小さな溜息を漏らす。

 紫紺色の癖のある髪に触れつつ、見下ろした先には妙な生き物を抱えて眠る主の姿があった。すぴすぴという寝息すら聞こえそうなほど、寝入ってるようであり、珍妙な来客物に気付いているのやら、どうなのやら。

「また妙なものに好かれましたなぁ」

 そもそも本丸の結界をどうやってすり抜けてきたのかという疑問は審神者の服装で察することが出来る。本丸では着ることがほとんど無い紺色のスーツ姿。

 審神者の会議があると時の政府の会議場へ向かったのは、朝の早い時間だったはずだ。

 そして、帰宅したのは半刻ほど前。

 共に出掛けたはずの石切丸が気付かなかったとなると、悪しきものではない。主第一の長谷部や巴形が動けないとなると、

 明石はゆっくりと審神者と其の存在へ近付き、風通しの良い畳の上で眠る主の横へと座った。

「で、どこから着いてきましたん?」

「――!……、……」

「はいはい、動かんでください。自分らの主はんが折角寝てはるんやから、起こさんといてください」

「……、…………」

「アマビエ、やったかなぁ」

「!」

「疫病を祓う妖怪、の類。主はんの風邪を祓ってくれたんのは、感謝するが――その位置は駄目や」

 むんず、と、眠る女と比べては大きな手がアマビエの頭を掴み、主の腕の中から引っこ抜いた。腕の中に居た生き物が居なくなったことにも気付かずに惰眠を貪る審神者の前髪を 軽く払って整えつつ、明石は畳の上にアマビエを置く。

 ムッ、としたように頭を揺らすアマビエに明石は赤と緑の入り混じった瞳を向ける。明石自身、アマビエからは邪気が無いことは感じているし、主である女を守ってくれたのは感謝するが胸の辺りがモヤっとするわけだ。

 其の意味を理解していないわけではないが、明石は認めてはいない。

 襖の先から入る太陽の光が直接審神者に当たらない位置へ身体をずらし、自身の内番のジャージを女にかけてやればアマビエを膝の上に乗せた。

「妙な病が流行った時代に呼び起されたんやろ。人の願い、其れが形作るんはあんさんも一緒か」

『――……微力だけどね』

「うっわ、しゃべれたんかい」

『さっきまで聞く気無かったでしょ』

「そんなん、自分知りませんなぁ」

『まぁ、いいけど。人によって生み出されて、実態を持つまでに願われたんだ。この子に付きそうだった風邪くらいなら祓える』

「へぇ、そらあ。働き者ですなぁ」

『……素直じゃないんだね。今だって、そうして……いた、いたいいたい、ちょ、髪引っ張るな』

「ああ、コレ、髪だったんですなぁ」

『どう見ても、髪だよね!?』

 何を思ったか、アマビエの髪をぐいーっと引っ張り構造を確かめる男に、アマビエは似つかわしくない早さで明石の膝の上から逃れる。

 縁側まで逃れるとアマビエは太陽の光を見上げるように視線を上げた。

『僕さ、人の事好きだよ』

「なんなん、唐突に」

『僕たちをこうして生み出してくれたことに感謝してる。だから、たまーにね、思うんだよ。僕らがこうやってインターネットとか色んなツールを使って、広まった今から200年ほど前のこと』

「横文字をぺらぺら話す古来の妖って、面妖やな」

『ま、僕、心も若いからね。……あの歴史を変えたいって思う時もあるよ。そうしたら、僕らは生まれなかったけど人はきっと――ってね』

「それ、自分の前で言います?」

 小さな生物がさらりと口にした言葉に、眼鏡の奥にある瞳が剣呑に細められる。過去の改変を刀剣男士の目の前で行うとはいい度胸としか言えない。

 冗談か本気か分からない存在に明石は見定めるように後ろ姿を見遣った。

『ほら、君も働き者だ。なんてね、刀の神様に喧嘩は売らないよ。自分を否定するようなものだし』

「自分だからいいものの、斬られても知りまへんよ。さっさと行き、そろそろ蛍丸と愛染も帰ってくるさかい、掴まって遊ばれるで」

 子供が願ったのか、髪の色がかなりカラフルなアマビエにひらひらと手を振って明石は寝返りをうった審神者を引き寄せる。

 其の瞳に先程までの鋭さはなく、柔らかなものとなっている事に本人は気付いていない。

 アマビエがうわーと声を発して、庭先に下りて最後の嫌がらせとばかりに明石へと言葉を発した。

『ねえ、自分の顔、鏡で見た方がいいよ。めちゃくちゃ甘すぎて、僕、お砂糖吐きそうだから』

「生意気すぎや」

 既に珍妙な生物から興味を失った明石は、これだけ話していても起きない審神者へと意識を移している。余程疲れているらしい姿に眉尻を下げ、自身の眼鏡を外して胸元へと下げた。

 そうしている間にアマビエの姿は既に無く、本丸の結界内からも気配が消えている。逃げ足が速いのか、概念というべきか。

 僅かに冷たさを増した風が部屋に吹き込み始めれば、立ち上がり襖を閉めて男は審神者の横へと転がった。

 一緒に遠征部隊を此の侭待つのも良いが、病を斬ると言われる日本刀がこれだけいるのだからと女を引き寄せる。

「ま、しばらく、こうしてましょ。今なら煩い長谷部はんも居ませんしなぁ」

「ん、明石さ……ん?」

「寝とき、疲れたんやろ」

「うん」

 動かしたことで薄らと瞼を上げて、寝惚け眼で明石の言葉に頷く様子はいつもより幼い。弱音も吐かなければ、甘えるのも苦手な此の審神者が素直な様子に自然と男の口角は上がった。

「自分、保護者やからね」

「うん、蛍丸くん、帰ってくるまで、ですね」

「寝ぼけながらもしっかりしてますなぁ。自分の事よーく、分かってるようで」

「うん、好きだから、分かりたいもん」

「そうですか……って、あんさん、自分の言ったこと――」

 ジャージを掛けたのは間違いであったと明石は気付いた。

 審神者の両手が明石のジャージの端を幸せそうに握り、抱え込んで再び眠りの中に落ちていた。

 深い溜息を男は吐き出して、先程のアマビエが口にした言葉を思い出す。

「甘い、ねぇ」

 さらりと眠る審神者の髪を撫でて自身の髪に付いた赤いピン止めを外し、男は審神者の髪を止める。彼女の髪にも良く似合う其れを見詰めてから、男も瞼を伏せた。

「――……悪くないのは、困ったものだ」

 普段使っている口調も置き去りに男は呟く。

 襖を閉めた事で閉ざされた部屋の中、明石はゆるりと審神者の背に手を回してぽんぽんと子供をあやすように撫で、自身の内心を誤魔化す。

 擦り寄る審神者にまた一つ深く息を吐き出し、一度瞼を持ちあげて保護者の仮面を被りながらもアマビエのいう砂糖を吐きたくなるような甘い表情を浮かべてから意識を沈ませた。

 

 帰ってきた遠征部隊の蛍丸にずるいと叫ばれ、信濃に懐に居たいのは僕なのにと詰め寄られ、愛染に冷ややかな目をされ、長谷部と歌仙からの雷が落ち、燭台切が其れを宥める光景が見られるまで、あと少し。

 

 緩やかな時間はただ過ぎていき、疲れた審神者の心と体を癒すのだった。

 

(了)