恋をしようか

 

 本丸には幾つかの内番がある。

 道場で鍛錬をする『手合わせ』や農作物を育てる『畑当番』、そして馬の世話をする『馬当番』の三種類だ。

 種類の違う刀剣男士と手合わせをするのは刺激になるし、食事で頂く作物を育てるというのは、自給自足以外に生存値や偵察値等のステータスが上がる効果がある。

 一口に馬の世話と言うが、餌を与えて掃除をするだけではない。

 馬は警戒心が強いので基本的に立ったまま寝ることが多いが、寝床になっている藁の交換は毎日行う。

 掃除が終わるとブラッシングをしながら場体チェックをする。

 性格は様々で朝食前に運動したがる馬もいれば、すぐに食事をしたがる馬もいて、鶴丸が出陣の時によく使う馬は彼に似て悪戯好きで、顔を見ると髪を口に咥えて引っ張ったり顔をすり寄せてくる。

「よっ、今朝は冷えるな。あとで遊んでやるからちょっと待っててくれ」

 頬を二、三度撫でてやってから、汚れた藁が入った桶を外に運ぶ。

 出陣予定が入っている刀剣男士が使う馬を、優先しなければならない。

 「ところでもう一人の当番が来ないな」

  今日の馬当番は鶴丸と同田貫なのだが彼の姿が無い。

 そろそろ夜が明けるという時刻に同田貫はやってきた。

「遅くなって悪い。殆どやらせちまったか」

「何、気にするな。だが珍しいな、寝坊か?」

「水を一杯飲んでからと思って厨に寄ったら、燭台切にアマビエの事を聞かれてな

「甘海老?同田貫は美味い甘海老が獲れる穴場でも知っているのかい?」

 夕餉には甘海老の刺身が出るかもしれないと、頬が緩んだところ即座に否定された。

「甘海老じゃない。アマビエだ」

「甘い稗か。米に混ぜて炊くなら、甘くない方が美味しいと思うんだが」

  鶴丸が腕を組んでそう言うと、それも否定される。

「アマビエは妖怪だ」

「何でそんな話を光坊はきみに聞いたんだ?」

  江戸時代肥後国で夜になると海が光るために、役人が調べたところアマビエという妖怪が出現して、今後六年間の豊作と疫病が流行るという予言をした。

 その際自分の姿を描き写した絵を人々に見せよと告げたという。

「きみは肥後国に縁があるんだっけな」

「ああ、どうやら燭台切は主に何かを頼まれたようだぜ」

「へぇ…」

  本丸によって滅多に顔を見せない審神者もいれば、毎日顔を出して食事も刀剣男士達と一緒にする審神者もいると言う。

 この本丸はどちらかと言えば前者に近いが、最低でも月に一度は広間に顔を出して労いの言葉をかけてくれる。

 一体燭台切に何を頼んだというのか…。

 

 それが明らかになったのは翌日だった。

 出陣も無く遠征も短時間の物が多かったので各々が自由に過ごしていると、広間に全員集まるように通達があった。

「静粛に!」

 長谷部が大きな声を張り上げてその場を静める。

「俺達が出陣する時代には様々な疫病が存在する。時代によって天然痘や麻疹など人類の生命を脅かしてきた病があるが、感染症というの他人に移す怖ろしい病だ」

 そんな長めの前置きをしてから、長谷部は後ろを振り返って燭台切を呼ぶ。

 襖の裏から燭台切が長手盆を持って入ってきた。

 そこには鳥と魚が合体したような形をした和菓子が並んでいる。

 「主から作って欲しいと頼まれたんだ。アマビエ様という妖怪にあやかり、疫病退散を祈願してね」

  燭台切が作ったのは練り菓子で、髪の部分が薄紅色で作られていて可愛らしい。

 「主のお優しい気持ちに大いに感謝して頂くように!では一人ずつ取りに来てくれ。人数分あるから焦らなくてもいい」

  前方に座っていた包丁と信濃が我先にと押し合いをしているのを見て、長谷部が苦笑しながら言う。

「光坊、俺の分は後で頂くから取っておいてくれるか」

「構わないけど何処に行くんだい?」

「ちょっと野暮用を思い出したんでな」

 そう言うと鶴丸は広間から出ていく。

 一度庭に出て行き、何かを手にして階段を上がっていった。

 足を止めたのは審神者の執務室の前。

「主、ちょっと良いかい?」

 声をかけると静かに襖が開き審神者が姿を見せる。

「突然で悪い。仕事の邪魔をしたか?」

「そんなことはないけれど、どうしたんですか?」

 鶴丸の訪問に審神者は不思議そうに首を傾げる。

 その仕草は実に愛らしく、刀剣男士を創り出すという特殊能力を持った人間にはとても見えない。

「いつまで経っても、きみは砕けてくれないんだな」

「口調の事を言っているのですね。でも貴方は付喪神で私はただの審神者。神格の違いがあるのですから当然です」

「だがきみが主である事に変わりはない。神格なんてこの際関係ないだろう」

 鶴丸は後ろ手に隠していた物を審神者の髪にそっと挿す。

 栗色の柔らかい髪に飾られたのは庭に咲いていた椿の花だ。

「アマビエの話は聞いた。主の心遣いに感謝するぜ。花は一輪挿しにでも飾ってくれ」「有難うございます」

「ところであの菓子はきみも食べたんだろう?」

「ええ、燭台切さんが味見がてら食べて欲しいと言うので」

「だろうな。証拠が残ってるぜ」

「えっ…?」

 珊瑚のような唇の端に小さな白餡がくっついている。

 鶴丸はそれを指で掬い取ってぺろりと舐めた。

 その行動に審神者は驚いて上擦った声で名前を呼ぶ。

「つ、鶴丸さん!?」

「うん?」

「どうしてそんな事をするんですか?吃驚するじゃないですか!」

 滑らかな白い頬を赤く染めて抗議する審神者の耳元に近付き、

 鶴丸は常よりトーンを落とした声で囁く。

「こんな事で驚くなんて、まだまだだな」

 吐息が耳にかかるのがくすぐったかったのか、審神者は身を震わせて後ずさる。

「第一、きみの方が俺を先に驚かせたんだぜ?」

「私、鶴丸さんを驚かせた事なんてありません」

(でも俺は驚いたんだ。この身体を得た当日、きみに名前を呼ばれ瞬間)

 いわゆる一目惚れというやつだと告げたら、どういう反応をするだろう。

 最高に驚いた表情を見せてくれるだろうか。

「まっ、そいつはもう少し後のお楽しみってやつだな」

「はい?」

 どうやら鶴丸の独り言は聞こえなかったらしい。

「いや、何でもない。こっちの話さ」

 驚きはいくつあってもいい。

 ああ、そうだ。

 皆でアマビエを描いて本丸に貼るのはどうだろう。

 きっと主も驚くに違いない。

「それじゃ俺は広間に戻る。邪魔をしたな」

「あっ、あの…鶴丸さん」

 手をあげて階段を降りようとした鶴丸に向かって、審神者が呼び止めた。

「お花、有難うございました」

  鶴丸が髪に挿した椿を大事そうに抱え、花を綻ばせたような可憐な笑顔を見せる。

(おいおい、不意打ちは反則だぜ…)

 動揺した鶴丸が階段から滑り落ちそうになったのは、言うまでもない。

 

 数日後、鶴丸の意見によって刀剣男士達が描いたアマビエの絵は、本丸の至る場所に  貼られて誰一人病に罹る事なく過ごすことが出来たと言う。

 

(了)