記録:アマビエの来訪

 

 

「何か」が紛れ込んだ。

某本丸の離れに暮らす審神者がそんな気配を感じたのは明け方のことだった。はっと目を開けてまだ少しだるい身体で布団から這い出ようとするもなかなかうまくいかなかった。

 審神者は霊力を使いすぎると体調を崩して寝込んでしまう。それが治るのにはかなりの時間を要した。本当なら今も起き上がることができる状態ではないのだが、「何か」の正体を明らかにしておかなければ皆に危害が及ぶかもしれない。よろよろと身体を起こそうと腕をついたその時だった。

 誰かの腕に身体を引き寄せられる。そしてその腕のなかにすっぽりと収まる。

「やめちょき。まだこじゃんと熱いやいか」

 隣で寝ていた陸奥守吉行の声が耳をくすぐった。離すまいと腹に腕を回されて捕らえられて身動きはとれない。

「でも」

「わかっちゅう。「何か」が入り込んだながろう?けんど害はないぜよ」

「どうしてわかるの?」

 顔を見上げるとこつん、と額が当たる。陸奥守は橙色の瞳でじっと彼女を覗き込んでから、にっと歯を見せて笑った。

「何を隠そう、わしが呼んだからやよ」

 何やら大層ご機嫌そうで誇らしそうだった。抱きしめる力が強くなるのに呻きながらも、そんな彼の様子に一体何を呼んだのか非常に興味をそそられた。

「何を呼んだの?」

 そう聞いてみれば太陽のような満面の笑みを浮かべた。

「疫病退散にご利益のある神さまぜよ」

 

 

「あまびえさん、おはようさんー!」

 目の前に現れた「何か」の正体を見て、審神者はなるほどと得心した。先が桃色がかった水色の長い髪、唇の代わりについたひよこのような可愛らしい嘴に、耳の代わりに付いているヒレ、身体は虹色の鱗に覆われていてまるで人魚のような出立ちの生き物が目の前に居た。

(アマビエ、ね)

 1800年代、とある地域の瓦版でその存在を確認された妖怪、とされているアマビエだった。

 予言と「疫病が流行した際には私の絵を見せるように」という助言を残すと海へ消えていったという。

 それから200年余り経った2020年代。世界規模の感染症パンデミックの最中にアマビエのさまざまな創作物が日本中で創られるようになった。疫病退散の思いが込められたそれらは、人々に希望を灯した祈りと願いの象徴として200年経ったこの2200年代の今なおその名を歴史に刻んでいる。

(まさか会えるなんてね)

 審神者は術師であり、時には妖魔を祓ったりする祓魔師まがいのことをしていたこともあったが予言をすると言われている妖怪の類いには出逢ったことはなかった。色々と調べるチャンスである。そんな持ち前の探究心がふつふつと湧き出す。

「はぁい、そがな「まっどさいえんてぃすと」みたいな目ぇであまびえさんを見んでください〜」

 布団の傍に控える陸奥守がじと目で注意してくる。マッドサイエンティストとは中々言い得て妙だ、と笑いを誘われる。

「おはようございます。陸奥守さん、陸奥守さんの主さん」

 恭しく頭を下げる様はどこぞ令嬢のように品があった。つやつやとした髪も、ドレスのような鱗もえもいわれぬ気品を漂わせており、思わず凝視してしまった。

「どういう知り合いなの?」

「ある日海見ちょったら、現れてなぁ。色々話すうちに仲良うなったがよ」

 海に縁がある陸奥守らしいと言えばらしい、と審神者は笑った。まさかこんな可愛らしい妖魔を連れてくるとは。息子が恋人を連れて来たような微笑ましい気持ちを抱きつつ、再びアマビエに視線を戻した。

「それで今日はどうして来てくれたの?」

「陸奥守さんに頼まれまして、主さんの風邪を治すためにまいりました」

 笑った顔もまた可愛らしい、と審神者はつられて微笑む。厳密には風邪ではないのだが、そんなことはどうでも良くなるくらいその可愛いらしさに心惹かれた。

 1800年代に姿を確認されたときアマビエは予言をしたのみだった。実際にその予言の通りになったのか、その絵姿に病魔を払う力があったことを証明する文献はない。

 いったいどのように治してくれるのか。その瞬間を目に焼き付けようとアマビエをじっと見つめる。

 

『審神者さんの霊力は今この瞬間に戻る』

 

 頭に直接響くような声が響いた。と同時にほのかな光が身体を包んだ。身体の内から泉が湧き出すように霊力が身体中に行き渡っていく。それにつれて身体にまとわりついていた錘のようなだるさが消えていった。

「気分はどうな?」

「うん……。身体が軽くなったみたい……」

 手指を握って開いてしながら、審神者は息を呑んだ。恐るべき力だ。その威力にただただ驚嘆した。背筋が凍るほどに。

 望む未来を確定する力。何と恐ろしい力だろうか。これさえあればどんな願いだとしても叶えられてしまう。

 ちら、とアマビエを見やる。大はしゃぎする陸奥守に手を取られて、平然とにこにこしている。予言によって命を落とす妖魔もいるが、どうやらこのアマビエはその範疇にないらしい。

(悪用されないと良いけれど)

 心根のよろしくない人間や、時間遡行軍などに捕まってしまえば、きっと無事ではすまない。審神者はアマビエの行く末を案じつつも、そんな恐ろしい想像に蓋をした。

「ありがとう。何とお礼をしていいか」

 陸奥守と付き合いがあるからといって、それだけで助けてくれるはずはない。たしかにこのアマビエは箱入り娘のような世間知らずで人が良さそうな感じはするものの、それにしたって陸奥守から審神者に至るだけの動機がない。

(陸奥のことが好きなのかしら?)

 そうだとしたらなんと微笑ましいことか。にやにやしながらそんな邪推をしていると、アマビエは屈託のない笑みを返してくるのだった。

「とんでもないです。塩むすびのお礼ですから」

 塩むすび?何のことだろうと、陸奥守に目を向けると彼は思い出したように手を打っていたところだった。

「もしかして、お腹すいたちいうちょったときにあげたやつかえー!?」

「はい!とっても美味しかったです!」

 頰に手を当てながらうっとりと目を細めるアマビエ。予想外の回答に一瞬呆気にとられるも、審神者はくすりと笑った。

(可愛らしい)

 小柄な体躯も、ご飯が美味しかったと浮かべる笑顔も純心な幼女のようだった。審神者は幼子を愛でる手つきでついその頭に手を伸ばして撫でてしまう。

「また作ってあげるから、いつでも来てね」

「ありがとうございます」

 心から幸せそうな顔で笑う小さな客人に審神者はもう我慢がならなかった。その丸くて小さな身体を胸に抱いて捕まえてしまった。

 卵のような形をした頭を撫でながら髪を梳く。柔らかい髪だった。すり、とふくふくとした顔に頬擦りをしてみれば海の生き物らしい冷たさが伝う。すべすべとした肌触りがやみつきになりそうだった。

「人肌ってこんなにあったかいのですね」

 満足そうに胸に顔を埋める表情の安らかさがやはり可愛らしい。

(アマビエってこんなに可愛いのね)

 我が子のように見守りながら頭を撫でていたとき、不意に後ろからタックルのようなのしかかりを食らった。危うくアマビエを下敷きにしそうになったものの、何とか堪えて振り返る。

「のう〜、わしもあっためてつかさい」

 背後から抱きついた陸奥守がじゃれつくように頬擦りをしてくる。

「はいはい」

 

 大きな犬のようだと苦笑しながらも、応えるように頰を合わせた。ありがとう、と内心で呟きながら。

 

(了)