陽だまりに願えば

 

 

 秋の良き日、本丸では写生大会が催されていた。晴れ渡る青空の下、短刀や脇差たちが思い思いの場所で絵筆を手に取っている。それを物影から見守るのは心優しい兄弟刀たちで、この日、本丸はとてもにぎやかだった。

 しかし、この写生大会は、当初から予定されていたイベントではなかった。たった数日前に、思わぬ来訪者がこの本丸に突然現れたのがきっかけだった。

「あれが、アマビエですか」 

 そうつぶやいたのは、蜻蛉切だった。

 私が縁側で絵筆を動かしているところに、蜻蛉切が温かいお茶を淹れてきてくれたのだ。

「主。お茶をどうぞ」

「ありがとう、蜻蛉切さん」

 蜻蛉切は、長年私の近侍を勤め上げてきた本丸の重鎮だ。少々心配性な性格で、アマビエの来訪以来、蜻蛉切はあからさまに機嫌が悪かった。

「まあ、立ち話もなんですから、座ってください」

 私たちは縁側に並んで座り、紅葉が色づく本丸の中庭を眺めた。

 先程から、本丸の庭をのっそのっそと歩いている者がいた。大きさは一メートルほどで、頭からは長い毛が生えている。両眼は魚類を連想させるほどに大きく見開かれ、口と思わしき場所には硬いくちばしがくっついていた。顔には小さな羽毛が生えているのだが、首から下はうろこに覆われており、いまいち鳥なのか魚なのか判別しがたい。尾びれとも足ともとれるようなものが、体の下から三つも生えており、それを器用に使って庭園の中を闊歩していた。

 妖怪アマビエ。寸胴な三頭身が愛らしい。あれが本丸に現れて以来、短刀や脇差たちはすっかりアマビエに夢中になってしまった。

 お散歩するアマビエの後ろを、短刀たちが興味津々でついて回っている。親ガモを追う子カモのようだ。

 微笑ましい光景とは対照的に、隣に座る蜻蛉切は随分険しい顔をしていた。

「妖怪を本丸に招き入れて良いのですか?」

「蜻蛉切さんは、心配性ですね。アマビエなら大丈夫ですよ」

「主はなぜ、そう言い切れるのです」

 蜻蛉切は不満そうに言う。

 私は、絵筆を動かしながら答えた。

「強いて言うなら、蜻蛉切さんと同じだから、ですかね」

「自分と同じ……? あれが、ですか?」

 信じられないと言った様子で、蜻蛉切は遠くのアマビエを凝視する。

「蜻蛉切さんは、面白い反応をしますね」

「あれと自分が同じとは、にわかには信じられません」

「だったら、私が絵を描く間、話し相手になってくれませんか」

 蜻蛉切は、はっきりとした返事を返さなかった。無言を同意と受け取った私は、さらさらと絵筆で色を塗りながら話を始めた。

「祟りって、知っていますか?」

 突然の問いかけに、蜻蛉切はきょとんとする。

「人に災いが降りかかることでしょうか?」

「では、人に災いを与えるものは、なんでしょう?」

「……アマビエのような妖怪の類かと」

「ふふふ、ちょっと違います」

 私が奇妙な質問ばかりするので、蜻蛉切が渋い顔をしてしまった。

 私は謝りながら、先程の話を続ける。

「神だったんです。大昔、祟りは、神様にしかできないものだったんですよ」

「神様……」

「それが変化したのが、中世です。そのころには、亡くなった者の無念や、物に込められた思いが、人を祟ると言われるようになりました。いわゆる怨霊って奴ですね。その中で、みなさんのような付喪神も生まれました」

「中世に我らのような付喪神が、ですか?」

 蜻蛉切には中世と言う時代が、あまりピンと来ていないようだった。

「そのころの話は、三条が詳しいですね。で、あのアマビエと言う妖怪は、実はもっと後々になって生まれました。いつごろだと思いますか?」

 蜻蛉切はあてずっぽうに、鎌倉かと答えた。

 私は首を横に振る。

「江戸末期です」

 中世からすれば、日本の歴史のだいぶ後半だ。

「蜻蛉切さんは、アマビエのような妖怪が人に災いを与えると思っていたようですが、アマビエがどんな妖怪か知っていますか?」

「海に現れて、豊作や疫病の予言をして去った、と。その際に、流行り病が出たら自分の姿を描いて人々に見せよと言い残した。そう聞いております」

「そのとおりです。だから、こうしてみんなで絵を描いているんですね。怨霊や付喪神より、随分ありがたい妖怪だと思いませんか」

「それは……」

 私は、絵から顔を上げ、庭を歩くアマビエに視線を向けた。アマビエは相変わらずマイペースで、お散歩を続けている。その様子はあどけない幼子を見ているようで、とてもかわいらしかった。

「なぜアマビエは、こんなにご利益のある妖怪になったのか、私なりに考えてみたんですよ。それで、思いました。アマビエと言う妖怪は、人々の祈りが生んだ妖怪なんじゃないかって」

「祈り……?」

「江戸末期、人々は先が見えない世の中に不安を感じていました。だから、アマビエみたいな、未来を予言する妖怪が生まれたんです。先の見えない世の中を、人間に代わって見通す妖怪……。アマビエは、当時の人々の心のよりどころだったんじゃないでしょうか」

 江戸末期から、日本に文明開化の大きなうねりがやってくる。その同じころ、コレラと言う病が流行して、日本をさらなる混乱に陥れた。特に、満足な治療も受けられない民衆にとって、流行り病は何よりも恐ろしいものだった。

 病にかかりたくない。未来がより良いものであってほしい。そんな祈りが、アマビエと言う妖怪を生み出したのだろう。

「人は、何かに思いを託します。物に。絵に。妖怪に。それは、今も昔も変わらない祈りの形なんだと思います。蜻蛉切さんだってそう。私は、貴方に未来を託して、時間遡行軍と戦っている。そういう点で言えば、アマビエも蜻蛉切さんもそう変わらないと思います。ですから、アマビエには心を許していいんですよ」

 さらり、さらり、と筆を動かせば、画用紙の上にアマビエが描き出された。我ながら上出来だと思う。絵から目を離して隣を見れば、先程よりますます複雑そうな顔をした蜻蛉切がいた。

「あれ。何か、不服でしたか?」

「いえ……」

「いったい、どうしたんですか。そんなにアマビエがお嫌いですか?」

「……自分は、アマビエと同じではありません」

 どうしても納得がいかないらしい。

「そういえば気になっていたのですが、どうしてそんなにアマビエが嫌いなんですか」

「主こそ、なぜアマビエばかり気にかけるのですか」

「え?」

 思わぬ返答に、私は間の抜けた声を出した。

「差し出がましいことは承知で申し上げます。主はアマビエに構いすぎております。アマビエの来訪以来、急きょこのような写生大会を開催し、得体の知れぬものを手厚く歓迎している。アマビエに、ご利益があるかどうかは特別気にしてはおりませんが、アマビエにばかり心を寄せるのはいかがなものかと」

「蜻蛉切さん。もしかして、嫉妬しているんですか?」

「ち、違います!」

「最近、構ってあげられなかったから?」

「ですから、違うと申しているでしょう!」

 蜻蛉切は一段と声を強めた。

 蜻蛉切は身を正し、私の方にきちんと座り直した。急に改まって何事かと驚いている私の目をまっすぐ見据えて、そして深々と頭を下げた。

「願うのではなく、どうかこの蜻蛉切にご命令ください。三名槍が一つ、蜻蛉切。主の不安を、瞬く間に断ち切ってみせましょう。ですから、思いを託すなら、アマビエではなくこの蜻蛉切に。いつでも、お声かけください」

 蜻蛉切は、私がアマビエに思いを託すことが、許せなかったらしかった。思い返してみれば、当然だ。長年、私の願いを聞いてくれていたのは、近侍の蜻蛉切だったのだから。私が急にアマビエ、アマビエと騒ぎだせば、納得がいかないのも無理はない。

 私は蜻蛉切に嫉妬させてしまったらしい。

「ふふ。蜻蛉切さんは、心強いですね」

 私は、笑った。

「なら、アマビエではなく、蜻蛉切さんにお願いをしてもいいですか?」

「お任せください。主が望むのであれば、疫病も、災いも、切り捨ててみせます」

「では、顔を上げてください」

 顔を上げた蜻蛉切に、私はそっと近づいた。そして、強く握りしめられた拳を両手で優しく包み込んだ。

「あ、主……っ!」

 蜻蛉切は、ぽっと顔を赤くする。

 そんな蜻蛉切に、私は微笑みかけた。

「私の願いは、みんなとずっと一緒にいられること。この平和がいつまでも続くことです。私は、この手で未来を守りたい。不安な世が過ぎ去り、皆が安心して暮らせられるように、どうか最後まで私に力を貸してください」

 それから、祈るように両手にピタリと額をつけた。蜻蛉切とは一緒に本丸で暮らしてきたが、こうして本心を打ち明けたのは初めてのことだった。

 そんな私を、蜻蛉切はじっと見つめていた。

「無論です。自分は、主の槍です。この蜻蛉切、命を賭して主のお役に立ちましょう」

 蜻蛉切が、私の手を力強く握り返す。

 秋の穏やかな陽だまりの中、私と蜻蛉切はそっと身を寄せあった。

 私は、静かに願った。どうか、この幸せな時間が続きますように。叶うならば、傍らに寄り添う蜻蛉切とともに、幾年月を重ねられますように、と。

 

つないだ手と手は温かく、言葉にしなくとも互いの心が伝わるようだった。

 

(了)